<110612 散文>

そとでは雨が降っている。手すりにコツンコツンと、雨粒の当たる音が聞こえる。かなり騒々しいので、けっこう強く降っているのだとわかる。雨が降る、たぶんこの営みは、僕が生まれる前からずっと続いていて、そして僕がいなくなってからも、ずっと続いていくのだろう。それがどうしたという話だけれど、その安定性というか恒常性が日常というやつで、今後雨が降らなくなったり、雨の代わりに赤ワインが降ってくるようなことはあり得ないだろうし、たとえ僕がいま赤ワインの雨を降らせようと死ぬほどがんばったところで、雨粒が赤ワインにかわることはない。雨、あるいは日常というのはある種の暴力的な「法則」をもって、雨といえばH20であるという鉄板の掟をもって、ぼくの生活を形作っているように思う。そういう安定性は平々凡々と生きていく上では確かにありがたいのだけれど、たまには空から降ってくる真っ赤なワインの雨を僕は呑みたい。

<110612日記>

プレッシャーがすごい。今度携わる仕事が余りに分不相応なので、かなり参っている。正直勝算はほとんどない。簡単にいえば、無茶ぶりの最たるもので、どう持っていくかわからない。たぶんまた炎上するだろう。体が、持つか不安だ。体力的にきついのはたぶんどうってことない。まずいのは精神的なところだ。自分の評価が下がるのがとても怖い。最初にできる人で入ってきているので、できないと「なんだこいつ」ってことになって、それがよけいにプレッシャーをかける。まったくやってられない。このままいったら、精神的に潰される。。。と何となく思う。
別に仕事なんてどうだっていいじゃんて思えればいいのだけれど、残念ながらいまのところ、仕事が自分自身の中に深く入り込んでいて、仕事での評価を失いたくない、という思いができあがってしまっている。正直、いい迷惑だ。と思う。社内でCISCOイコール藻朱になっているのもしんどい。
書いているうちにいい案が浮かべばと思っていたのだけれど、全くいいことが浮かばなくて、どんどんダークに向かっていっているのでさらにへこんできた。ちょっと考えかたを変えてみよう。そもそも今の仕事自体僕にとって本業じゃないのだから、そこに人生の価値を見いだすなんてちゃんちゃらおかしくて、あくまで毎日食っていく糧を捻出するためのものなのだから、そんなに思い詰めなくていいんではないか。それに失敗したところで、責任が発生して損害賠償なんてことにはならないし。だからそんなに気張らなくてよい。やばけりゃやばいで、ここまでできるけどここからできないと、BOSSに報告すればいいだけの話で、それで評価さげるなら下げればいいとおもう。べつにそんなの知ったこっちゃない。あくまで自分の重心、ライフワークはこのノヲトを書き続けることであって、それを疎かにするくらいなら仕事は僕にとって何の意味もない。好きな文章を書いて生きていくために食い扶持としてSEを選んだのであって、文章を書けなくなるほど追いつめられる為にSEを選んだわけじゃない。僕にとって一つ問題なのは、僕自信がそのことを忘れてしまっていることだ。こつこつ文章を書けばいいのに、いろいろと仕事にかまけて書こうとしない。そこにいろいろとぶれがでてきているように思う。まあしんどいのだけれど、やっていこう。とりあえず、この「書くことはいかなることか」について考えつつ、文章を書いていこう。
明日からまた仕事だ。まったくやれやれだ。

<110611 日記>

今日もポメラで日記を書く。
書くことが別にある訳じゃないんだけれどなんとなくこうしてキーをたたくのが楽しいのでポコポコやっている。そういえば大学院の先生が書くことは楽しいといっていったのを思い出す。紙にインクでシミをつけていくときの感触が好きだが、いまこうしてキーを打ち込んでいくのもなかなか趣がある気がする。ただどことなくキーにせかされている感じがあるけれどまあそのうちなれてくるだろうと思う。ネットからは外れた閉じ込められた、アナログな世界。それがこのポメラという世界。電子の営みでいながら、閉鎖されている感覚が心地いい。

<110610日記>

はじめてポメラで日記をかいている。
あんまり何というかいい心地がしないのは、今までずっと文章は紙に書くものとおもっていたからだと思う。少しの違和感がある。文章というのはそれを書く人のコンディションにいろいろと左右されるということがあるもので、かく言う僕も毎日いっぱいいっぱいのなか瀕死の状態で、いえまでたどり着いては、こうやって、キーをたたいている。こういう毎日がずっと続くかと思うと、先がおもいやられる。
それはさておき、こうして文章を書いているのは、そんなやじゃない。というか、何も考えないで、ただキーを叩いているのはむしろ幸せですらある。帰るべきところだとか、そういう、帰巣本能をくすぐるところが書くという行為にはあって、ただ、それにふけり過ぎると、サラリーマンには戻れなくなる気がする。もう眠い。
おやすみなさい。

ポメラ ポケットメモライターの略、タイプライターの電子版みたいなもの。

date_10/12/20 白日夢

ラプソディーという言葉が、ここ数日頭を駆け巡る。ボヘミアンという歌を妻から教えてもらったからか、ボヘミアンという種族そのものに憧れたからかわからないけれども、ボヘミアンという言葉とラプソディーがくっついて、そこでボヘミアンが取れて、頭の中でラプソディーだけが駆け回っているという始末。どうしてそんなことになってしまったのかよくわからないが、そうなっているのでしょうがない。
 ボヘミアンラプソディーは確かクイーンの歌だったと思うけれど、どんな歌だったかは思い出せない。それに、このラプソディーという言葉は僕の身の丈からはずいぶんと外れた言葉で、まだ僕の中でこなれてない。だからこのテーマから言葉がつむげないでいる。白日夢という言葉にはあこがれているだけで何もできない自分がここに居て、選ぶんじゃなかったと思っているのが正直なところ。

 こうやってキーボードに特に何もなく言葉を叩いていくことに今とても安らぎを感じている。働いているという感じがとても心地いい。別に書くことも、伝えたいこともないのだけれど、こうしていると気分が和む。

書いていて気づいたことなのだけれど、文章を書くといういとなみは僕にとって、どうやら心を整えるいとなみらしい。こうして書いていると、僕の場合内向的に、内向的に文章が走っていってしまうのだけれど、それはそれで自身が気に入っているから、いいのだと思う。小説にせよ、詩にせよ、もう最近はどんなことはどうでもよくて、飾らないで、しょうもない内容の文章で、その外見だけで一気に飛翔できるものを書きたいと思う。ただそれは頭空っぽということなのだけれど。
 さてそろそろ寝ますか。明日が始まらないうちに。

date_10/12/19 日記

今日から、電子で無責任ノート※を作ろうと思う。だからといって、今までの無責任ノートがなくなるわけではなくて、それはそれとそれとして、書いていく。
 今回、電子データで書こうとした理由は二つあって、一つ目はそれがコンテンツにすぐに変換できること。従来の無責任ノートだとWEBで公開するときに、紙から電子に変換しないといけなくて、それに結構な時間がかかって結局載せずじまいということになるので、どうしてもそれは避けたかった。実は紙の無責任ノートには結構書き溜めた文章があって、それが相当量眠っていて、WEB化しようと思うのだけれどそれをするだけの時間と忍耐がなくて、挫折した。

あと、もうひとつの理由は文体の変化。紙に書くのとキーを叩くのでは、出来上がる文体が明らかに違う。後者の文体をキーボード文体と名づけるなら、キーボード文体の自分も探求してみたかったので。加えて仕事でPCで文章を書くので、それになれるため。タッチタイピングが僕はとても遅いので、少しは早くなるんじゃないかという色目もあって、そうすることにした。

テキストエディタ。PCがらみの仕事をするようになって、つくづくよくできた文化だと思う。
とてもシンプルなソフトウェアだけれどやたらめったら奥が深い。フリーというところも最近ののITを象徴していて気に入っている。何しろ動きがやたらと早くて、余計なものは一切ついてないというところがいい。かといって短径選択、正規表現、マクロやDiffが使えるので、決して何もできないおばかソフトではなく、シンプルなで優秀なソフトなのである。まぁみんな知ってるだろうけど。
エディタばっか使っていると、MSOfficeなんか切れそうになるわけで。
職場でふざけんな!くそ!こいつ死ね!とか連呼してるのはたいていエクセルでこけてるから。
なんであんなものあるんだ!とついつい思ってしまう。
無責任ノートはtxtで書こうと思う。たぶんテキストエディタでは一番出来野の悪いnotepadで書く。
あほだけれども、ものを書くには一番シンプルなソフトだから、いいかなと思っていて。
ただ、そう思っていたけれど、QXで今書いてみたらやたらめったら使い勝手かよくて、申し訳ないんだがQXを使うことにしようかと。なんだこれはめちゃくちゃやりやすいぞ。これから文章書くときはこれだな。
何かの本でよんだのだけれど、書くことは快楽であるそうだ。であるならば、苦痛であってはならないはずで、より快適に書ける環境が必要なはずで。より良いテキストエディタが必要で。正直今書いてるエディタの心地よさにはびっくりするということでこれからもこうしていろいろと書いていこう。さすがに眠いので眠ることにする。

話は変わるが、CCIEの試験を立てつづけに3つ取ったあほがいる。
メモ帳とワークブックだけでその御仁は取ったそうだ。何をやったんだか。
ただ、そういうメモ帳的な潔さにはあこがれる。たぶん世界を変えるのはテキストである。


※無責任ノートは私が、毎日コツコツと怨念を書いている、手書きのメモ帳です。まだ、WEBに出てくる前の、私の吐瀉物を拾い集めたノートです。
※CCIE 世界最強のネットワークエンジニアの資格 一昔前なら持ってるだけで年収1000万 筆記試験と実技試験があって、筆者は筆記試験はPASSしてるけど実技試験は惨敗中とっととりたいと思うけれど、勉強しようと思ったところで仕事が激務になる。どうにかならんものですか?まあ一応おかげで、超絶案件やらしてもらいましたけど、かなり食傷ぎみ。

100919.txt

何のことはない、今日も雨だ。とぼくはつぶやく。最近はすることが多すぎて、多すぎて、ゆっくり休む暇もない。
正確に言えば、休む暇はあるのだけれど、精神的にいろいろと追い込まれることがおおすぎて、なにも手につかないといったほうがいい。忙しいわけではないのに、気持ちだけが先走る。この先に対する漠然とした不安だとか、自分自身のたよりなさ、そういうものの中に、自分はいる。
ぼくは、ここ最近、その自分の頼りなさに話しかけたりする。君はいったい何者なんだ?かれは機嫌のいいときはどこの生まれで、なにがすきか、性格はどんなだとか、答えてくれるのだけれど、機嫌の悪いときは最悪で、僕は決まってサンドバックにされる。この"頼りなさ"はぼくとは別個のものなら楽なのだけれど、けっきょく自分の内面にあるものなので、いったんあばれだすともう僕にはどうすることもできなくなって。最終的に気分が悪くなって寝込む。おなかがすいたときがもっとも危険で、そんなときに話しかけると決まってサンドバックになるから、しかとしているのだけれど、そうすると向こうから話しかけれくるからたまったものっではない。そうしてまたサンドバックになって、寝込む。毎回これの繰り返し。何とかしてそうならないように、ラジオ体操したり、ケンタッキーフライドチキンを食べたりして気分を盛り上げようとするのだけれど、結局は盛り上がらず。最終的にお酒の力を借りることになる。お酒を飲むと、最初はとても気分がよくなって、三度バックになってもたいして問題ではなくなる。ただ、よいがさめてくると、とたんに気分が落ち込んできて、たっていられなくなるから、そうならないようにお酒をまたしこたま飲む。それを繰り返して、結局泥酔して、気絶する。毎日同じことが繰り返されて、毎日サンドバックだ。ここから抜け出したいと思うのだけれど、この頼りなさというか、なにか、自分の中に根付いた毒毒したものは、なかなかきえてくれず、お酒を飲むと、とたんに出てきてしまう。この毒々しい輩とどう付き合っていくかというのが目下の悩みである。鬱病というのはこういうものなのか?いままでかかったことないからよくわからないんだが、完全にやつはぼくの奥底に根を張って、蝕んでいってる。蝕まれている感覚がごくまれにではあるけれど、気持ちよかったりするから尚のこと、たちが悪い。しょうがないから、僕は行く当てもなく散歩する。歩くときが晴れるというか、少し落ち着くというか、体にたまった毒素が抜けていく感じがして、とてもいい気分になる。けれども、家に帰ってくるとまた、毒毒したものがたち現れてきて、僕を支配する。この毒々しさはどこからやってきて、僕をどこに連れて行こうとするのかさっぱりわからないが、とりあえず、あんまり付き合わないほうがいいと思う。
なんのことはない、。今日も雨だ。といった僕の後ろに例の頼りなさが立っている。今日も僕はサンドバックにされる。

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これからしばらくのあいだ、毎日更新していこうと思います。
出てくる文章は、多分、毒にも薬にもならない水みたいな文章を毎日1篇書いていこうと思います。、
よろしくお願いいたします。